前の職場から公私ともにお世話になっております、甲南大学の阿部真大くんから、『居場所の社会学――生きづらさを超えて』(日本経済新聞出版社、2011年)を頂きました。本書執筆中の昨年度から、折に触れて議論してきた内容でもありますので、感慨深く思います。謝辞にまで名前を入れて頂きありがとうございます。
さて、若手社会学者としてのデビュー作『搾取される若者たち』(集英社新書、2006年)の「ドライな」語り口とも、より若い世代に向けた講義録である『二十歳の原点』(筑摩書房、2009年)の「アツい」語り口とも微妙に異なり、本書では妙に「ウエット」な阿部真大が見え隠れします。小学生時代に近所の子どもたちとなじめなかった話から、ぐだぐだな私生活を抱えながらバイク便ライダーをやっていた話まで、従来の読者は阿部君のこれまでとは違った意外な一面を垣間見ことでしょう。逆に、阿部君をよく知る人は腹を抱えて笑い転げるでしょう。
ただ、本書は「社会学」と銘打たれている割には、「居場所」の明確な定義もなく、「居場所」に関する先行研究もまばらで、終始やわらかいエッセイ調の文体の中に、突然「ジンメルによれば...」とか出てきて面食らう場面もあり、若干タイトル負けしている感もあります。いきなり居場所に関する4つの「命題」から始まって、いったい何が起こっているのかよく分かりませんでした。本格的な学術書と思ってアマゾンで注文すると、うっかり悪い評価をつけたくなるかもしれません。
それでもなお、切実な社会問題と自らの経験の間をフィールドワークで架橋していく阿部君のフットワークとバイタリティには、毎度のことながら敬服させられます。とりわけ、バイク便、ケア労働、合コン、ロック、キャリアラダーと、一見流行のトピックを追ってふらふらしているように見えて、実際には自らこだわり続けてきた「居場所」という縦糸で筋を通してみせるのは流石でした。彼の師である上野千鶴子先生の「学問は私利私欲でするもの」という言葉を思い出します。
もし、いまこの瞬間にも、自分には「居場所がない」と感じ追い詰められている高校生や大学生(あるいは様々な世代の人々)にとって、この本が自分のもやもやした不安や居心地の悪さを言語化し、生き延びるための新しい居場所を開拓する助けになるとしたら、それもまた社会学者の重要な仕事ではないかと思います。
改めて出版おめでとうございます。お疲れさまでした。