東京学芸大学の松川誠一先生から、『学校教育の中のジェンダー―子どもと教師の調査から』を頂きました。どうもありがとうございます。お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。研究会などでご一緒させて頂いている苫米地さんや、家事の社会学で有名な直井道子先生も執筆陣に名前を連ねておられます。
個人的にはやはり、直井先生の第三章「子どもの家事手伝いとジェンダー」に関心があり、興味深く読ませていただきました。やや外在的な感想ですが、なぜ子ども家事を「分担する」のではなく、「手伝う」のでしょうか。かつては夫についても家事を「手伝う」メンバーと考えられてきました。『家族を超える社会学』に掲載された論文でも議論しましたが、居住の範囲と家事分担の範囲の「ズレ」をめぐって、有意義な議論が可能であるように思います。
松川先生、どうもありがとうございました。
第2章 シェアとは何か 準備編
第3章 シェアのきっかけと魅力 証言編1
第4章 シェアへの不満と困難 証言編2
第5章 共用スペースと個室の意味 証言3
第6章 シェアのことがわからない 疑問編
第7章 新しい住まい方の模索 展望編
終章 公共性と親密性の再編成
『家族社会学研究』から依頼を受け、マーサ・A・ファインマン著、穐田信子・速水葉子訳『ケアの絆――自律神話を超えて』(2009年、岩波書店)の文献紹介を担当させて頂きました。
この本は、同著者の前著『家族、積み過ぎた方舟』(2003年、学陽書房)と同様、個人的に非常に思い出深い本で、既に原書を読ませて頂いていたのですが、訳書の紹介を担当させて頂いたことに感謝です。編集委員会の担当者さま、どうもありがとうございました。注文しようと思っていた矢先に邦訳を頂いたことにも感謝です(書評や文献紹介を書くと本がもらえるらしい)。
久保田が書いた文献紹介は1頁だけですが、興味がある方は以下からダウンロードしてください。
<電子ジャーナル>
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjoffamilysociology/21/2/21_249/_article/-char/ja/
研究室でかき氷が食べられたら、コンビニでアイスを買う頻度が減るんじゃないかと思い、夏前に購入。院生室に「氷」の旗を立てて、一躍みんなの人気者になる予定だった。一度に大勢のかき氷が作れるように、少し値段は張るが電動のものを選び、この先何年も院生室で使えるように、刃の交換ができるしっかりしたメーカーのものを選んでみた。
ところが、実際に回してみるとものすごい轟音が響く割には、ちょびちょびとした氷しか出てこない。5分と立たずに向かいの研究室の先生と隣の研究室の先生が文句を言いに来た。説明書をよく読むと、モーターが焼き付くので90秒以上の連続運転は控えるようにとのこと。院生室の人気者になる夢ははかなく消えた。
そもそも、できあがったかき氷が全くおいしくない。「かき」氷というよりも、「割り」氷で、罰ゲームで堅い氷片を食べさせられているような感じ。フワフワ感もサクサク感もまるでない。機構も実にいい加減で、氷を押さえつけて削る構造がなく、氷を入れるスペースで回転するプロペラで氷を振り回し、偶然刃に衝突した場合のみ小さな氷として排出される仕組みになっている。必然、氷が少なくなるにつれて、小さくなった氷が偶然刃に衝突する可能性は激減する。うるさいはずだ。あまりに偶然に頼りすぎている。
購入二日後には、ヤフオクで僕と同じような馬鹿に売りつけてやろうかと思ったが、面倒なのでやめた。院生室の棚でさび付き、朽ち果て、4年後くらいにゴミとして捨てられるのがお似合いなようだ。