about: サイトの趣旨とか目的とか

2009年の終わりに日本のシェアハウジング、特に若者同士のシェアを題材にした本を書いてから、電話やメールでの取材を受けることが増えてくると、シェアに関する基本的な情報や議論をまとめたサイトの必要性を感じるようになった。

もっ とも、実際にシェアするうえでのノウハウや、具体的な悩み相談、シェアメイト探しに関しては、既に先人たちの手による充実したサイト上で、日々沢山の情報が蓄積され、交換され、活用されている。2000年ごろから日本のシェアを盛り上げようとしてきた、こうした先輩たちのおかげで、かくいう僕も シェアと出会い、実際にシェアをはじめてもう7年になる。この場を借りて、みなさまにお礼を申し述べたい。いつもお世話になります。どうもありがとうござ います。

こういった情報交換サイトやノウハウサイトを新たに立ち上げようとすることは、屋上屋を架すことになるし、たいした経験も技術もない自分に出来るはずもない。こうした知は、インターネットのような「集合的知性」にこそふさわしいもので、無数の個人が「知っていること」や「経験 したこと」を持ち寄るだけで、一人の「有識者」や「研究者」なんかよりもずっと役に立つだろう。疑問や批判もあるかもしれないが、僕はネットのこういう力 を高く評価している。

だから、僕が必要性を感じているのは、もっと別のことだ。

それは、「知っていること」や「経験したこと」の単なる 集積を超える「考えたこと」、つまり、シェアに関する考察や議論を発信していくことだと思う。なぜ、大勢で住むと安く住むのか。な ぜ、他人と暮らすことは面倒だと思われているのか。どんなときに共同生活は上手くいって、どんなときに上手くいかないのか。いわば、「シェアの論理」を少 しでも明らかにすることだ。

たとえば、取材を受ける中で、日本におけるシェアハウジングのような「特殊」で「新しい」状況が生まれてきた 原因や意味を問われると、どう答えて良いのか迷ってしまう。たしかに、家族と暮らすか一人で暮らすかが一般的な現代の日本において、シェアに代表される他 人との暮らしは「特殊」で「新しい」ものとして捉えられるのは不思議ではないし、当事者にとってもそのように経験されているだろう。だけど、そもそも、こ こで対比されている「家族との暮らし」や「一人暮らし」は、それほど古いわけでも普遍的な訳でもない。

人類史的に見れば、夫と妻と子だけの小さな生活単位が孤立して生計を営むようになったのは、ごく最近の現象である。世界的にみれば、ワンルームマンションのような狭い空間でに一人で暮らすというのは、極めて特殊な生活形態だ。近代社会における市場/商品経済への依存と、生活単位の縮小と孤立という一見矛盾する両面を考えなければ、現代におけるシェアの意味を考えることはできな い。とりわけ、日本における家族と他人を隔てる境界線と、政策的に家族に期待されている大きすぎる役割との関係をみなければ、他人との共同生活を正しく評 価することはできない。説明されるべきは、シェアの側なのだろうか、それとも、家族や一人暮らしの側なのだろうか。

このサイトでは、様々な書籍や論文、関連するブログやサイトを紹介しながら、「シェアの論理」について考えるために有益な情報を、少しずつ書きためていければと思う。また、折に触れて身の回りの出来事や雑感なんかも混ぜていく予定だ。

サ イトのタイトルには、世界史の最初の授業で習ったきり、一度も答案に書いたことがなかった古代ギリシア語を戴いた。「シノイキスモス」=集住。なんでわざ わざギリシア語で覚える必要があるのかと訝った人も少なくないはず。実際には、「シノイキスモス」は単に一族が集まって住むことを指すのではなく、異質な人々が混ざり住む都市国家の端緒、それゆえ、民主政治の端緒を指す重要な概念だった。

と、大上段に構えた割には、どんな頻度で更新できるか分かりませんが、どうぞお楽しみに。
MovableTypeの操作に慣れてきたら、コメントやらいろいろな機能も追加しようと思っています。どうぞ宜しくお願いします。

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